中正記念堂で
妙にダラダラと歩く集団だった。おそろいのウインドブレーカーを着て、エナメルのスポーツバッグを肩にかけている。正面の蒋介石像にはあまり興味がないようだ。ポケットに手をつっこんで、同じく丸刈りの友人たちとニヤニヤ。部活動の練習試合でもあったのだろう。その帰り、せっかくだからこの中正記念堂にも立ち寄った。日本でも見かけそうな光景だ。
中正記念堂は国立の施設である。蒋介石が1975年に亡くなったとき、行政院(日本でいう内閣)が追悼施設の建設を決定した。竣工は5年後の1980年。「中正」とは蒋介石の本名である。面白いのは、施設の名前が何度か変わっていることだ。中正記念堂はかつて「台湾民主記念館」と呼ばれていた。国父・蒋介石の銅像は布で覆い隠されていた。当時の与党・民進党の方針だった。
ところが2年前、台湾では政権交代が起きた。国民党が与党となった。それで名称が完成当初の「中正記念堂」に戻された。台湾には国民党と民進党という政党がある。どちらも台湾で生まれ育った人の集まりだが、国民党は「私たちは中国人」と考え、民進党は「私たちは台湾人」と考える。蒋介石は国民党の総裁だったから、国民党政権は「中正記念堂」と呼びたがった。逆に民進党政権には蒋介石を記念した施設の維持にはためらいがあった。
すると日本はやはり平和な国だなあ、と思うのだ。台湾には台湾人としてのアイデンティティの問題がある。中国には共産党の圧政の問題がある。朝鮮半島なんて未だ戦争状態だ。ところが、日本にはそこまで差し迫った、シリアスな問題はない。「首相の指導力不足」とよく言われるが、逆にいえば指導力がなくても首相が務まる、なんとも素晴らしい国なのである。
けれどたとえば例の阿久根市の件なんかを見ていると実は日本もそろそろガタが来ていて
切迫した問題が山積しているようにも思える。みんな目を逸らしているだけなのかもしれない
阿久根市では政治への意見の相違で住民同士の関係がギクシャクしたりしていないんだろうか
切迫した問題が山積しているようにも思える。みんな目を逸らしているだけなのかもしれない
阿久根市では政治への意見の相違で住民同士の関係がギクシャクしたりしていないんだろうか
by photo-by-kohei
| 2011-01-24 15:27
| 台湾