青空が憎かった
大船渡でのボランティア。
2日目に派遣されたのも、1日目と同じ泊里地区だった
この日は、同地区でひとつだけ立て直しが始まっていた
小屋の片付けを手伝った。
小屋の持ち主のおじいさんは、趣味で書道をやっていた
次から次へと出てくる高級和紙を天日干しにした。
娘さんのものだという、高校時代の教科書も出てきた
日付をみてみると平成のヒト桁代に使われたものだった
津波で泥まみれになったのに加え、9月の台風でも
濡れてしまったという話だった
作業のあいま、高台にのぼった。熊野神社という場所だった
津波のとき、近所同士助け合って避難した場所だという
相変わらず天気がよく、ついさっきペンキを塗り終えた
小屋がぽつりと立っているのが見えた。それ以外はすべて
更地だった
* * *
高台から慣れ親しんだ町が破壊されるのを眺める、というのは、
いったいどういう気持ちがするものなんだろう?
私は考えた
青空が憎かった。本当に、憎たらしいほどの晴れっぷりだった
この町にあった魚屋や、理容店や、漁協や、呉服屋が、すべて
流されていくのである。建物だけではない、自分の目にする
光景のなかには、確実に逃げ遅れた人がいる
逃げ遅れた人が波に飲み込まれる瞬間だって見えたはずだ
こんな天気のいい日に私が立っているこの神社の境内、
ここに避難したひとたちは、いったいどんな気持ちで自分の
町を見つめたのだろう? そう考えると言葉がなかった
* * *
盛岡にある私の実家は、30年ほど前に山を切り開いて
整備したいわゆる新興住宅地にある。すぐ近くには
裏山があって、のぼって住宅地全体を眺めることができる
私は、その裏山から自分の町が消滅する光景を眺めている
様子を想像した。とてもやるせない気持ちになった
by photo-by-kohei
| 2011-11-20 13:55
| 東北