ディレクとクリスのこと 〜4日目・サフランボルからイスタンブルに戻る〜
コーランは今朝も5時に流された。ひと通り歌われたあと、またお決まりの「ペコ、パコ」という、誤ってハウリングを起こしたような電子音が流れる。あれはいったい何なのだろう? 8時前にあらためて起きるとカタリーナも韓国人の女の子もまだ寝ていた。狭いトイレで顔を洗い、朝食をいただく。メニューは昨日とすっかり一緒である。
壁にかけられたテレビではエジプト関連のニュースが流れていた。武装した若者がドアをがんがんと叩き、こじ開けようとしている様子が映し出されていた。アナウンサーはトルコ語でしゃべっていて、詳しいことはわからない。まあきっと、体制側の人物の居所かなにかなのだろう。
人の行動から意味やら意義をはぎ取ったとき、つまりその行動だけを見たとき、なんて無駄の多い生き方を、人間はしているんだろう。私はそう感じた。そういえば12月に台北の龍山寺を訪れたときにも同じようなことを考えていた気がする。
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トルコ式トイレにも慣れてきた。トルコ式トイレは和式トイレと似ている。しゃがんで、する。ほぼボットン式なのだが、壁にホース付きの蛇口がついていて終ったあと水で流すことができる。いわば手動水洗といった感じである。最初は戸惑うがすぐに慣れてくる。トイレットペーパーさえあれば(無いところもある)もうほとんど問題ない。むしろ、ブツかちょうどよく穴に落下したときフタが開いてパコッ! と奈落の底に落ちていくあの感覚は、何ともいえぬ心地の良さである。
宿の旦那さんにチャイをもう1杯いただけないか? と訊くが、「NO」といって強く断られた。そんなに怖い顔して言わなくたって…、と言いたくなるような口調だった。お金を払うなら? と訊くとイエスと言われるが「1.50リラだよ」。冗談じゃない。高すぎだよ。カトリーナと共に宿をでる。
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旧市街のバス停からバスに乗り、新市街へ向かった。もう慣れたものだ。新市街のひとつめのバス停でわたしは下車した。アマスラに向かうカトリーナとは別れる。この人は本当にステキな人だった。
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まだ時間があったので、サフラン社事務所の向かいにあったチャイハネに入った。新聞を読む客がひとりいた。店主は壁にぶら下げたテレビでミュージックビデオを見ていた。画面には黄色のビキニ姿の女性が写っていた。とりあえずチャイをひとつ、と注文する。
かくのごとく、旅においては物事は予定どおりに順調には運ばないものである。何故なら我々は異郷にいるからである。我々のためではない場所--それが異郷である。だからそこにあっては、物事は我々の思惑どおりには展開しない。だよね、と思わず口に出して言ってしまった。そうなんですよ。順調にコトが進んじゃ旅とは言えませんよね。我々のためではないところにいるんだから。うんうん。
逆に言えば、物事がとんとんとんと上手く運ばないのが旅である。上手く運ばないからこそ、我々はいろんな面白いもの・不思議なもの・唖然とするものに巡りあえるのである。そして、だからこそ我々は旅をするのである。
村上春樹『雨天炎天』
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と思っていると店内には5人の男たちが入ってきて、席につくやいなや何やらカードゲームを始めた。カードをテーブルに叩きつける仕草は真剣そのものである。きっと何か賭事をしているのだろう。
わたしはその様子が面白くて、写真を撮ろうと試みた。けれど堂々とファインダーを覗き込むわけにはいかない。ギャンブルをしているところを写真に撮られたいと思う人は多くないだろう。私は机にカメラを置き、50mmのレンズを装着した。無限遠から少しずつピントを手前側へずらし、連写した。5枚のうちの1枚、まあまあピントのあっている写真を撮ることができた。
近くの席に座っていた革ジャンの男も見ていて面白かった。ギャンブル5人組の方をちらちら覗き込んで、いかにも仲間に入りたそうにしているのである。5人組のうち見かねたひとりが革ジャンの男を誘ったが、男は断った。きっとあまのじゃくのような人なんだろう。そのあとも革ジャン男はチラチラと五人組のほうを見ていた。
そろそろと思って勘定を頼むと0.50トルコリラだという。ところが私はそのとき0.25リラコインしか持ち合わせていなかった。しょうがないので5トルコリラ札を出すと、店主は首を横に振った。「それなら、じゃあ勘定はいらないよ」。目がそう言っていた。ありがとうございます。私は店をあとにした。ただしここのトイレはひどく汚かった。
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バス会社の待合室は混んでいた。時間になるとオトガルに連れて行ってくれるセルヴィスがやってくる。16人乗りの車内に、立ち客も含めて22、3人が乗り込んだ。オトガルに着いてからも、私はまわりの人に「イスタンブル?」と尋ね続けた。失うものはなにもない。聞いておいて悪いことはないだろう。
私がコトを済ませ外に出ると、その老人が手をさし出してくる。お金を払わないといけないトイレだったのだ。なんだ、それなら入らなかったのに。0.50トルコリラ。金を払ったんだから写真くらい撮らせてもらおうと思ったが、聞いてみると髭も剃ってないのに撮られたくないと言われた。そういう仕草をされた。
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今日のバスのサービス係は若い少年のように見える。16歳か17歳といったところだろう。ピノキオのように鼻が高くて、髪をばっちりセットして、アーガイルチェックのセーターを着ている。そこまではいいんだけれど、オレンジ色の蝶ネクタイをしているのがなんとも可愛らしかった。2日前に利用したメトロ社のサービス係と比べると少し愛想が悪い。ジュースやコーヒーを配りにくる回数もメトロ社より少ない。そういえばヨシさんはメトロ社がいちばんだよ、と言っていたけれど、こういうことなのかな。
同じバスには韓国人の青年が乗っていた。休憩所で話しかけてみるとソウルの大学に通う26歳の学生だという。1ヶ月間の旅行をしていて、ちょうど1週間前まではカイロにいたらしい。ちょうどムバラク政権に対抗するデモが激しくなり始めたあたりで、日に日に状況は悪化した。死者が出たあたりで「さすがにヤバい」と考え、トルコ行きのプランを少し早めたそうだ。脱出できたのはきっと幸運だったんだろうなあと考える。
バス車内ではこういう簡単なお菓子が配られる。けっこうおいしい
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バスはいくつかの渋滞地点を越え、ゆっくりながらも確実にイスタンブルに向かっていた。景色は思わず息をのむような美しさである。夕暮れどきだった。バスは大きな橋の上をわたっていた。遙か下には大きな川が流れている。地図を見るとどうやらボスフォラス海峡を渡っているらしい。両岸はなだらかな坂になっていて、小ぶりな民家が段々になって並んでいる。夕陽を受けて何もかも真っ赤に染まっていた。
空気は霞んでいるのだけれど、ところどころにモスクとミナレットの影が見える。稜線のすぐうえに見える太陽は「これぞ赤!」と叫びたくなるような真っ赤な色をしていた。そして驚くほど大きい。もう一度だけ橋の下に目をやると、フェリーが海峡の真ん中をマルマラ海のほうに向かって進んでいた。
だが、なんだか、おかしいのである。
【バスが、いま、ボスフォラス海峡を渡った】
これはおかしい。2日前に私が利用したハレム・オトガルはアジア側にあったはずだ。橋を渡るということは、ボスフォラス海峡を越えてヨーロッパ側に行ってしまうということである。
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不安は的中した。バスが到着したのはハレム・オトガルとは比べものにならないほど大きなバスターミナルだった。バスを降りると、さらに不安は増す。
同じバスに乗っていた人と一緒にいれば、シャトルバスで市の中心部まで行けると考えていた。ところが皆、てんでばらばらの方向に散っていく。ソウルの青年もこれからアタテュルク空港に向かうのでここでお別れだという。私はこのとき、自分がどこにいるのかまったく見当がつかなかった。ここがなんという名前のオトガルなのか。バスターミナルなのに、そんな基本的なことの表記すら見当たらない。これは大変なことになった。
さて、どうするか。私が本格的に悩みはじめたときだった。「空港なら、あっちにメトロの入口があるよ」。英語でそう言う声が聞こえてきた。振り返ると近くに女性がいた。どこの国の人なのか。一見ではわからない。隣には鹿島アントラーズのアルシンドによく似た男がいる。女性のぶんも荷物を持っていて、どうやらこちらは女性の夫のようだ。
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「空港じゃなくて、町の中心に行きたいんです」。私はそう言った。どうやらこの女性は、さっきのソウルの青年と私を間違えたらしい。確かにソウルの男性はさっき、まわりの人にエアポートと聞いてまわっていた。会話を仕切り直す。
「町の中心? どのあたりに行くの?」
「スルタンアフメットの近くです」
「それなら連れて行ってあげる」
さてどうするか。果たしてこのふたりを信じていいのだろうか。こうときの脳の回転というのはスゴい。1秒や2秒のあいだに、私はいろいろなことを考えた。
(親切な人には見える)
(けど英語がうまいからって気を許しちゃ終わりだ)
(スーツケースを持ってるってことは本当にただの旅行客か?)
(アルシンドが何もしゃべらないのは怪しい)
(けどまあ誰かに頼らないとすごく困ったことになる)
よし。
私はこのふたりを頼ることにした。まあここで変なところに連れて行かれたらそのときはそのときだ。過去数日間のあいだだって、声をかけてくれた人はみんないい人だったじゃないか。
私たちはまず、ドルムシュという乗り合いのミニバンに乗った。スルタンアフメット行きのようである。ドルムシュは無料で、乗客が満員になりしだい発車するのだという。私は女性のスーツケースを後部座席に乗せるのを手伝った。ありがとう、と言われた。悪い人ならこういうとき「ありがとう」なんて言わないよなあ、などと、まだ疑っている自分に気付く。
しかしドルムシュにはなかなか人が乗ってこなかった。女性はトルコ語で運転手に質問した。すると「満席にならない場合、あと30分は発車しない」といわれたらしい。女性は「じゃあ他のドルムシュにしましょう」と提案してきた。言われるがままに車から降り、ほかの車に乗り換える。今度はどこ行きなのか、私にはわからなかった。それでもついていくしかない。
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どこを走っているのか。全くわからないままドルムシュは進んだ。「どこに向かっているのかわからない車に乗る」というのはとても怖い体験である。しかも私を助けてくれている(と信じたい)ふたりは運転席のとなりの二人分の席に乗ってしまっていた。私はひとり、他の客に混じって後部の座席である。
ひどい渋滞だった。まるで東京みたいだ。しかも東京より交通マナーが悪い。前方にある信号は赤なのに、後ろから早く進めよとクラクションが鳴り響いた。車と車の僅かなスペースを、大きなバイクがすりぬけて走っていく。窓の外を見ているだけでヒヤヒヤとした。
しばらくして女性が後ろを振り返り、私に向かって「ここで降りるわよ」と言った。
そこはとても賑やかな界隈だった。女性は「ここはタクシムっていう場所なの」と教えてくれた。スルタンアフメットは似ても似つかぬ場所である。地図を出して確認してみると、またアジア側に戻ってきていたようだった。わけがわからない。何故ここでおりたのか。さらに不安になる。するとふたりはいきなり歩き出し、すこし高級のホテルの前までたどりついたところでタクシーを呼んだ。
言われるがままにタクシーに乗る。つまりこういうことだった。スルタンアフメットまで直接向かうドルムシュはない。あったが、なかなか出発しなかった。だから街の中心部にむかうドルムシュにのって、ちょうどいいあたりからタクシーに乗ろう、と。あとからそう女性に説明されたのだが、そういう大事なことは最初に言ってほしかった。
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タクシーに乗って初めて、ふたりとまともに話をした。
女性はディレクという名前だった。トルコ人でサフランボル出身。英語はアメリカに留学したときに覚えた。実はプロフェッショナルのヴァイオリン奏者としてステージに立ったこともある音楽家だった。いまは大学教授として音楽理論を学生に教えている。
旦那のアルシンド氏(本当の名前はクリスである)も大学教授だった。アメリカ人。フロリダに生まれてフロリダに育った。私が「フロリダに行ったことがある。オーランドやマイアミ、キーウェストに行った」というと嬉しそうな顔をした。専門は音楽学なのだけれど、いまはサフランボルの大学で英語とアメリカ文学を教えているとのこと。
ふたりはディレクが博士課程でアメリカに留学しているとき出会ったのだそうだ。実は日本に来たこともある。とはいっても京都も東京も行ったことがない。大阪での学会に出席するためだったのだ。「日本に来て京都に行かないのはトルコに来てカッパドキアに行かないようなものですよ」と私は言った。まあ、私はカッパドキアに行けないことになったのだけれど。
こういう話をね、最初にしてくれていれば私はすぐに信用したのである。最後にされるなんてね。
ふたりが泊まるホテルもスルタンアフメット地区にあって、結局タクシー代もぜんぶお世話になった。結局はかなり親切なふたりで、電話番号まで教えてくれた。「困ったことがあったら電話してね」とディレクは言ってくれた。疑っていたのは悪いけれど、けれど、ううん、という感じである。なにはともあれありがとうございました。
オリエント・ホステルというところで値段が聞くと、20リラだという。私は翌朝早く出発する予定だったので、朝食抜きプライスにしてくれないか? と尋ねた。すると「朝食抜きなら15リラ」と言われた。よし、それならOK。私はそのホステルに決めた。
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部屋にはアメリカ人がふたりいた。
ひとりは退職後ブラジルに移住したのだという老人だった。パソコンから回線がぐじゃぐじゃとひかれていて、アメリカのクレジットカード会社に電話していた。とても長い電話だった。私が部屋に入り、荷物の整理をし、夕食を買いに外に出て、戻ってきても、まだ電話が続いていた。
私のiPhoneには青年と話をする直前、新聞社から速報メールが届いていた。ちょうど「ムバラク辞任へ」というようなことが書いてあった。そこで私が「ムバラクがリザイン(辞任)するらしいね」というと「ホント?」と聞いてくる。あれっと思った私はもう速報メールにもう一度アクセスし、ニュースを読み返してみた。
すると実は「9月の大統領選に出馬しないことを表明した」という話だった。ということを彼に伝えると「なんだよ、そんなんじゃ辞任とは言わないんだ。君はリザインという言葉の意味を知らないのか?」と言われた。いいながらも、青年はパソコンのディスプレイから目を離さなかった。なんだかイヤなヤツだ。
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一方で老人はいい人だった。シアトルのイヤミな青年が出て行ったあと話をした。
イスタンブルのあとはマケドニアで2ヶ月間のスキーバカンスを予定しているらしい。「ひとつの都市を何日かで歩き回るような旅はもうしないんだ。若い頃はそうだったけどね」。人と出会えるからドミトリー形式の宿が大好きだそうである。前にホテルの手違いでシングルルームになったことがあったが、それも断った。「値段とかサービスとかじゃなくて、私はドミトリーがいいんだよ」。かなり意固地な老人のようだった。
私は通りで3リラで買ったケバブを食べていた。
by photo-by-kohei
| 2011-02-24 18:51
| Turkey